六等星をくれたあなたへ
恋人から揃いの指輪をプレゼントしてもらった。
星々が散りばめられたそれは丸みを帯びているけれど存在感のあるもので
たまに一緒に行く海で眺める空に徐々に立ち昇ってくる星のような
目が慣れたらようやく見えてくるような、控えめな光りかたをする。
それは月でも惑星でも一等星でもない、六等星のような。
寄せて返す波の音や移ろい変わりゆく空の色、踏む砂に心地よく沈む足。ぽつりぽつりとあやとりするみたいに話す声やその間合い、間隔。
吐いた煙が空に溶けてゆくときの含みをたたえた透けた空気の香ばしい匂い。抱き寄せたり抱き寄せられたりする似ているけれど同じではないそれぞれの発する熱がふれあう瞬間。
海辺にいるのが好きなのは、そのどれもがわたしのどんな手を使ってもそのままには残せないことが際立つから。
(思えばそうだった。写真に撮っても、言葉にしても、”それ”には届かない。自分の体で感じる以外のなにも役に立たないことがわかる時、観念せねばならない時、わたしは生きている感じがし淋しくて、しかし嬉しくなるのだった。)
週末、2日間をかけてとある研修を受けに行った。
自分と似た境遇の人を支援したいと考えている人たちの集まりだった。
ポジティブであること、成長思考を持つこと、そうなるやり方の言葉が土砂降りになってわたしの心をビチャビチャに濡らした。
ポジティブ、幸せ、成長を求める生き方・・・教室には形のしっかりとした強い言葉が降り注いでいた。
わたしはそうであれたらと思うことがある。
それは憧れのようなものかもしれない。
けれどそんなものは誰かに言われてなるものでも、得るものでもないんじゃないか。
そうでなきゃ生きてる意味ないみたいな言い方すんな。
なんて心の中でごちてぎゅうぎゅうに詰め込まれたカリキュラムにヘトヘトになってしまった。
結局2日目のお昼に会場を抜け出して、わたしと恋人は指輪を見に行き、今わたしの親指と彼の小指に同じ指輪がはめられている。
自分の体で得たものしか信じられないのだな、と改めて感じた2日。それよりも、恋人の気持ちや言葉や体の運び方が愛おしく心の頼りになることをもっと改めて感じた日だった。
孤独の輪郭を月が照らす。
水面に明るい星の光を探す。
言い知れぬ気持ちに出会う。
その気持ちをそっと撫ぜる。
言葉はたまたま手にしたもので、
人の気持ちはわからなくて、得体が知れなくて、
そんなことわかってるのに、どうにかしてわかりたいと、伝えたいと、いつも願い踠いていた。
だから、感情を撫ぜてやることは、そのままそこに置いておくことは、わたしができるようになったことのひとつだ。
そこにもうひとつ付け足したい。
両手を広げてただ信じることを。
それはきっと六等星のような照らし方だろう。
目を凝らせば、耳を澄ませば、あなたの方へ伸ばすことを志すこの手があれば。
目の前にいるあなたが全部恥じずにくれたものだ。
お題「指輪」
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